今週のメッセージ 2007.5.6

日毎の糧と罪の赦し

 

ドイツの家庭での食卓で次のような祈りがささげられるとのことです。

“主よ、わたしたちに無くてならぬものが二つあります。それらをあなたの憐れみによって与えて下さい。日ごとのパンと罪の赦しを。”

“日毎のパン”はわかるけれども、なぜ“罪の赦し”をも食卓の祈りで求めるのかと思われる向きもあろうかと思います。

“罪の赦し”は“日毎のパン”同様わたしたちにとって基本的に必要な事柄なのです。なぜなら、人間は神により、神のかたちにかたどって造られたものだからです。人が、“パンだけでなく、神の言葉によって生きるもの”とされるのもその故なのです。

しかし、わたしたち人間の中に、その神との交わりを妨げているものがあるのです。それが人間の“罪”です。故に、人間が神との交わりを回復するためには“罪の赦し”が絶対必要不可欠なのです。だからこそ、“日毎のパン”を無くてならぬものとして祈り求めると同様に、“罪の赦し”についても祈り求めることが必要なのです。

さらに、神から罪を赦していただくと共に、人と人との間でも罪を赦しあうことが不可欠なことなのです。故に、主イエスは弟子たちに教えられた“主の祈り”において、「わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」(マタイ6:12)と祈りなさいと言われているのです。

そして、神による“罪の赦し”と人間同士の間での“罪の赦し合い”は密接不可分な関わりを持っています。なぜなら、神から罪赦された者との自覚が下地となってはじめて人間は他者の罪も赦せる者に変えられていくからです。