今週のメッセージ 2007.6.10

すべては神からのいただきもの

 

イスラエルの第二代目の王ダビデは神殿の建立を志したのですが、神はそれを許されなかったため、その子で第3代目の王座に着いたソロモンがそれを実現に移すこととなりました。

ダビデ王は、王座をソロモンにバトンタッチする時が近づくと、神殿建築の大事業を担うことになる後継の王ソロモンの為に、自らをはじめとする寄進により、神殿建築の為の備えを整えたのでした。

その折、ダビデは以下のような祈りを神に献げたのです。

「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」

(旧約聖書・歴代誌上29:14

ダビデは、「わたしの神の神殿に対するあつい思いのゆえに、わたしは個人の財産である金銀を、聖所のために準備したこれらすべてに加えて、わたしの神の神殿のために寄贈する」(同3節)として献げたのです。その時、「すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」と告白しているのです。

わが国の為政者や高級官僚たち、また地方行政のリーダーたち、さらには大手企業家たちの金銭にまつわるスキャンダルが毎日のように報道される今日この頃です。ダビデのように、“すべては神からのいただきもの”という意識は持てないとしても、元はといえば国民からの税金である公金を、国民からの預かり物として適正に用いる意識が持てないものかと思わされます。“パンだけでなく、神の言葉によって生きるべき人間としての自覚”に目覚めない限り、残念ながら人間は堕ちる一方です。