今週のメッセージ 2007.6.17

実用主義、効果・効用主義だけでよいのか?

 

 物事の価値を計るに当たってはいろいろな物差しがあります。たとえば食べ物ひとつにしても、美味しさは?栄養価は?見てくれは?コストは?といった具合に。その場合、現代においては押し並べて実用や効果・効用の観点から測られる傾向が強いように思います。

突然、飛躍的に聞こえるかも知れませんが、いわゆる「神学」などは、そうした中では脇の隅の方に押しやられてしまいます。しかし、「比較的近年に至るまで、神学は諸科学の中にあって女王の座に位するもの、そして、中でも組織神学は、女王の冠ともみなされていた」(H・シーセン:組織神学)といわれます。

神学を意味する英語“theology”は、“theos”という「神」を意味する語と“logos”という「言葉」や「合理性」を意味する語(二つともギリシャ語)が合わさって出来ている語です。従って、神に関する言葉であり合理的な思索が神学であるといえます。

「神」という言葉は、一般的には、究極的なもの、一切のものの根源、最高の価値、と考えられるものを示すのに用いられています。となるとそれは、わたしたちの人生の目的や意味を考える場合に切り離せないものということになります。つまり、神学を抜きにしては人生を考えることは出来ないということです。

時には立ち止まって人生を考え、根源・究極・最高価値といったことに目を向ける生き方、パン(実用・効果・効用)だけでない生き方の追求において、聖書はすばらしいメッセージの光を放っています。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(新約聖書・マタイ4:4)