今週のメッセージ 2007.7.8

神を知ることと幸せ

 

人間として生まれ、生きるからには、だれもが幸せを求めることは当然のことです。それは生きがいと言い換えることが出来るでしょうし、またそれは生きる意味や喜びとも密接不可分に関わっています。

帝政ロシヤ時代に、水の入った桶の水を、もう一つの空の桶に移し、その水をまた元の桶に戻し、といった作業を果てしなく繰り返させる拷問があったといわれます。やがて耐え切れなくなった囚人は発狂してしまうそうです。やることなすことに意味を求めるという本質を持つ人間だからこそ成立する拷問といえます。

ところで、宗教改革でルターと並び称せられる人物にカルヴァン(カルビン)がいます。16世紀の人ですが、その著作は色褪せることなく21世紀の現代においても読まれ、用いられています。その一つに『ジュネーブ教会信仰問答』があります。その中の問3で、「では人間の最上の幸福は何ですか」とあり、その答として、「それも同じであります(神を知ることであります)」となっています。さらに問6にいて、「では、神についての真の正しい知識は何ですか。」との問に対し、答は「神を崇める目的で神を知るときであります。」となっています。

人間の幸せは神を知ることと深く関わっているのです。また、その神を知ることとも、ただ単に知識的に神を知るというのではなく、神を崇めることと結びつく中で神を知るという知り方が大切だというわけです。

幸せの追求も、とかく自己中心的、利己的なそれになりがちですが、その弊を免れる唯一の道が神を知ることの中にあるのです。神を知ることには、幸せも含めた人間の生の知恵への道があるからです。

「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7a