今週のメッセージ 2007.7.15

神の見えざる招きの御手

 

今の若者や子どもたちで二宮金次郎の名を知る者はほとんどいないのではと思います。わたしの小学校時代には、薪を背負い読書しながら歩む少年の像が、ほとんどどの学校の校庭にも建てられていたと記憶します。今あのようなことをしたら、交通事故に遭うか、目を悪くするのが関の山でしょう。

ところで、二宮尊徳(1787〜1856)の主張を表すものに「神仏儒(正味)一粒丸」という言葉があります。神道と仏教と儒教の教えの良いところを取り出して一つにしたものを薬の丸薬に譬えたものです。

よく宗教に関する考え方として、一宗一派に偏らず、それぞれの良いところを取って一つにしたものを信じるのが望ましいと考える方がおられます。その考え方からすると、二宮尊徳の「神仏儒正味一粒丸」はそれを実現したものと言えるでしょう。しかし現在、この神仏儒正味一粒丸をご存知の方はどのくらいおられるでしょうか。ほとんどの方がはじめて聞く言葉ではないかと思います。

宗教とか信仰というものは、あらゆるものを並べて比較検討してから最上と思われるものを信じるとか、それぞれの良いところを寄せ集めて総合したものを信じるとかというものではありません。真の神は生きておられ、見えざる御手を以って人を用い、折を捉えてあなたに語りかけ、働きかけておられます。問題は、あなたがその見えざる神の御手を察知して応答するか否かなのです。

新約聖書の中に次のような主イエス・キリスト御言葉があります。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネによる福音書15:16)