今週のメッセージ 2007.8.5

神であられまた人であられるキリスト

 

先週言及したキリスト教会の基本信条のひとつに使徒信条と呼ばれるものがあります。これは基本信条の中でも基本的なものと言えるでしょう。

その使徒信条の第二項目では御子イエス・キリストに関する信仰が告白されており、その中に、「主は聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ」という部分があります。これはイエス・キリストが聖霊によって処女の胎内に宿った神の御子であられ、同時に人である処女マリアの胎からお生まれになった人であられるとの信仰を聖書に基づいて告白するものです。

神であられ同時に人であられるということは、人間の頭では理解しえないことです。しかし聖書は、イエス・キリストというお方をそのように紹介しているのです。

このキリストの神性と人性に関しては、昔から今日に至るまでそれを否定しようとする考えが後を絶ちません。古くはキリストの神性を否定するものとしてはユダヤ教から出たエビオン派と呼ばれるグループがありましたし、他方、キリストの人性を否定するものとしては、ギリシャ哲学のグノーシス主義と呼ばれるものがありました。今日でもキリスト教会からは異端として斥けられているそうしたグループがあります。

しかし、イエス・キリストが神であられるからこそ、「この方は罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった」(?ペトロ2:22)生涯を歩むことがお出来になったのです。また、そのように全く清い人であられたからこそ、「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました」(同24節)とあるように、人類の代表としてすべての罪を身代わりとなって負われ、わたしたちを罪と滅びから贖う犠牲となられることがお出来になったのです。