今週のメッセージ 2007.8.19

洗礼を受けることの大切さ

 

この夏は酷暑に見舞われた日本列島。熱中症による死亡者も出て、休息と水分補給の注意が促されています。水の大切さをあらためて認識させられているこの頃です。

水といえば聖書の中に次のような主イエスのことばがあります。

「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」(ヨハネによる福音書3:5)

これは主が、その前でいわれたことばを言いかえられたもので、その前のことばとは以下のようなものです。

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(同3節)

水は、霊と共に人が新たに生まれることと密接に関わっているもので洗礼を指しています。洗礼は、主イエスを救い主として信じ受け入れ、そのみことばによって生きる決心を公に表明するものです。洗礼それ自体に救いの力があるわけではなく、主イエスに対する信仰によって救いに与るわけですが、その証しとして洗礼を受けることは大切なことです。「人は、心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10:10)といわれるように、信仰と告白は別のことではなく一つとなって救いと結びついているのです。

時々、心の中で信じていればそれでよいのでは、と思われる方がおられますが、主は、信じたならば、それを公に告白しなさいといわれるのです。

人間は弱いものですから、その時の都合で自分はまだ洗礼を受けていないからと誘惑に負けたり、妥協に陥ったりしがちです。洗礼を受けているとの自覚が、その人を守ったり、支えたりすることもあるのです。