今週のメッセージ 2007.11.18

人生最大の問い

 

聖書の中に、いくつかの重要な問いが発せられています。

例えば、イエス・キリストの十字架刑の判決を下したローマの総督ピラトは、イエスを尋問する遣り取りの中で、「真理とは何か」と問うています(ヨハネ18:38)。

主イエスの十字架の出来事から50日余り経った時、自分たちが処刑したのはなんとその来臨を待ち焦がれていたメシア(救い主)その方であったことを知った人々は、ペトロたちに、「わたしたちはどうしたらよいのですか」と問いました(使徒言行録2:37b)。また、同じく使徒言行録の中に、フィリピの看守が使徒パウロとシラスに、「救われるためにはどうすべきでしょうか」(16:30b)と尋ねています。いずれも重要な問いです。

さらに福音書の中に、あるひとりの富んだ青年が、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」(マタイ19:16b)と問うています。これは人生最大の問いといえるでしょう。

それに端を発して、主イエスと青年の間で掟を守ることや持ち物を売り払って貧しい人々に施すことなどに関する遣り取りが展開されます。そこにおいて主イエスは青年に、掟を守り切れていないことや、従って人間は善行功徳によって「永遠の命」(救い)を自らの力で獲得することは出来ないことを気づかせようとされています。救いは、自らの力に拠るのではなく、神の恵みとして与えられるものなのです。

「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

(新約聖書・?コリント5:20b・21)