今週のメッセージ 2008.1.13

洗礼のすすめ

 

「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」(マタイ3:16,17)

これは新約聖書の中の最初の書、『マタイによる福音書が』が伝える、イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時の様子です。

その頃、洗礼者ヨハネと呼ばれる人がヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。その洗礼は、“罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼”(マルコ1:4)でした。イエスさまは、そのヨハネからその洗礼をお受けになったのです。なぜ罪の無いイエスさまが、“罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼”を受けられる必要があったのでしょうか?

その理由は、罪無き方であられたイエスさまが、われら罪人と同じ位置にご自分を置かれるためでした。それは罪人のわれらに連帯されてわれらの罪の負債を身代わりとなって負われることにより、われらに救いをもたらすためでした。そのことがクライマックスに達したのが、あの十字架の死でした。

そして今や神は、人がこのキリストの連帯に応えることを求めておられます。どのようにして?洗礼を受けることによってです。なぜなら洗礼はキリストの十字架の死と三日目の甦りに与ることだからです(ローマ6:3-8)。即ち、洗礼は、われらの罪を背負って死なれたイエスさまに連帯させ、さらに三日目に復活されたイエスさまにも連帯させてわれらの神の子としての誕生を実現させるのです。故に神は言われるのです、「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16:16)、と。