今週のメッセージ 2008.1.27

無くてならぬただ一つのこと

 

 新約聖書の中の『ヨハネによる福音書』はその序文において、イエス・キリストのご降誕を、永遠のはじめからあった「言(ことば)」が人となった出来事として紹介しています。(07.12..23.参照)

同じく新約聖書中にある『ルカによる福音書』の10章に、言(ことば)が人となられたイエス・キリストの言葉に聞くことについて、非常に興味深い出来事が記されています。

それは主イエスがベタニヤという所に住んでいた、マルタとマリヤという姉妹の家を訪れた時のことです。

主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた」妹マリヤ(39節)。他方、「接待のことで忙がしくて心をとりみだし」てしまった姉のマルタ(40節)。実に好対照の二人です。

忙しさの余り心を取り乱したマルタは、主イエスのそばに歩み寄り、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」(40節)とクレームをつけました。すると主は言われたのです、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」(41,42節、口語訳)

マリヤが選んだ主の御言葉に聞くことこそ、無くてならぬただ一つのこと、そしてそれは決して取り去ってはならないものなのです。これは「言」が人となった主イエス・キリストが語られたまさにその言葉です。このことは、是が非とも取り去らないようにしなければなりません!