今週のメッセージ 2008.2.3

キリストの救いの理解

 

「イエスはお答えになった。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。』」(新約聖書・マタイ22:29、30)

救い主イエス・キリストの救いについて、キリスト教会が共有する信仰告白――使徒信条――では、「罪の赦し、からだのよみがえり、永遠(とこしえ)のいのち」と表現されています。

これは信仰告白的真理です。従って、その救いの完成態を体験している人はまだ一人もいません。取り分け「からだのよみがえり」と「永遠のいのち」の完成態を経験した人は皆無です。しかし、わたしたちは聖書の御言葉の約束に基づき、信仰によってそれを信じて生きているわけです。故に、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(新約聖書・ヘブル11:1、口語訳)と言われるわけです。その場合、ともするとその理解はこの世でのわたしたちの体験を基に推測するものになりがちです。

冒頭の聖句は、復活というものをこの世の生活の延長として理解しようとしたことに対する主イエスのコメントです。復活を信じようとしなかったサドカイ派と呼ばれる人たちが、主イエスをやり込めようと、子どもが生まれずに死去した男性七人の妻となった女性が、復活の時にはだれの妻となるのかと問うたのに対する主のお答えなのです。

この世にあっては完全に知り尽くすことは出来ませんが、キリストの救いはわたしたちの理解をはるかに超えたすばらしいものです。聖書と神の力を少しでも知る者となり、キリストの救いを希望として生きる者とされたいものです。