今週のメッセージ 2008.2.17

人の目でなく神の目を!

 

新約聖書の中の『ルカによる福音書』の20章の終わりから21章の初めにかけて興味深い記事が二つ並んでいます。一つは、主イエスが弟子たちに律法学者の偽善に気をつけよと注意されたものです(20:45〜47)。もう一つは、レプトン銅貨2枚を献げた一人の貧しいやもめの献げものについて誰よりも沢山献げたと言われたことです(21:1〜4)。

この二つは実に対照的な記事です。

前者では、律法学者がその象徴とも言える長い衣をまとってこれ見よがしに歩き、人から挨拶を受けることや、会堂では上座上席、宴会では上座を好む様が偽善として厳しく指摘されています。

それに対して後者では、貧しいやもめが、硬貨の最小単位であったレプトン銅貨2枚を献金したことに関して、金持ちたちは有り余る中から献げたが、彼女は貧しい中から持っている生活費を全部献げたとして誰よりも多く献げたと主イエスは評価されたのです。

この両者に対する主イエスの評価を分けたものはなんでしょう?それは神の目を意識して生きているか、それとも人の目を意識して生きているかです。

偽善は人の目を気にするところから生じます。それは神にではなく己に栄光を帰し、神に対してささげる姿勢ではなく己が利得の追求に終始します。人の目は誤魔化すことができます。しかし、神の目を誤魔化すことはできません。神は外見ではなく心の中をごらんになります。やもめの献金の額の多寡ではなくその心をごらんになったのです。

「人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」

(旧約聖書・サムエル記上16:7、口語訳)