今週のメッセージ 2008.2.24

死にましたが、信仰によってまだ語っている

 

昨日、わたしたちの教会では一年前、車の事故という思いがけない出来事で天に召されたF兄の召天1周年記念会が行われました。(出来事については2007.2.25.付けで「最長老信徒を天に送る」と題して記しました。)

F兄は日曜日の礼拝と木曜日の聖書研究・祈祷会は欠かさず出席された兄弟でした。出られたら出よう、行けたら行こう、などと考えていたら決して出来ないことでした。優先順位のトップにおいて生活されたからこそ出来たことでした。

よく奉仕されたF兄でした。特に天に召される9年前に70歳で仕事を引退されてからは、ギデオン協会の会員となって下校時の中高生等に生徒を手渡す奉仕を実に労を惜しまず献身的に奉仕されていました。

これも出来たらやろうと思っていたら、あのようには出来なかったでしょう。自分が主の御前に果たすべき使命と位置づけていたからこそ出来た奉仕でした。

またF兄はとても謙遜な兄弟でした。信仰暦はわたしよりもちょうど10年先輩、生活暦はそれ以上の先輩でした。しかし年下のわたしを敬ってくれました。それは人間としてのわたしでなく、神のことばに奉仕している者に対する敬いでした。15年間のお交わりでしたが、赴任した当初から召される時まで、一貫して変わることなく接してくれました。

それもこれもF兄が主イエス・キリストを愛し、そのことばを尊ぶところから生まれた生き様でした。

新約聖書の中に「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(ヘブライ11:4)ということばがありますが、F兄は死にましたが、信仰によってまだわたしたちに語っています。