今週のメッセージ 2008.4.20

教会に連なる大切さ

 

「わたしにつながっていなさい。」(ヨハネ15:4a)

この聖句は、主イエスがご自身をぶどうの木に、わたしたちをその枝に譬えて語られた勧めのお言葉です。ぶどうの木の枝であるわたしたちが、その幹であられる主につながっているか否かは、わたしたちにとって生き死にの問題です。

新約聖書中の『ルカによる福音書』の22:31〜34の記事には“ペトロの離反を予告する”の小見出しがついています。その中でペトロは、見栄でもハッタリでもなく本心から、入牢や死も覚悟の上で主に従うことを表明しています。そんなペトロに主は、鶏が泣くまでに三度わたしを知らないと言うだろうと予告されます。果たしてペトロは、決意表明の舌の根も乾かぬうちに、主との関わりを三度も否定する大失態を演じてしまいます。

通常、このような場合、合わせる顔もないと自ら引っ込んでしまったり、仲間からはじき出されたりされがちです。しかしペトロはその後も弟子集団の中に留まっていました。

それから三日後、十字架の死から甦られた主が、弟子たちのところに御姿を現されます。その場に居合わせなかったトマスは、仲間たちの、主が復活されたとの報告に対し、あの方の手の釘跡に、わき腹の槍跡に指を射し込んでみなければ信じないと言い放ちます。そんな時、とかく仲違いが生まれがちです。しかしトマスは引き続き仲間たちと共に居り、また仲間たちもそれを拒みませんでした。その結果、主が再び復活の御姿を現された時、一緒に居たトマスは主を神と信じる者に変えられたのです。

ペトロもトマスも、後にキリスト教会の中核となる弟子集団の中に留まったからこそ真に主を知り、主に仕える者となり得たのです。