今週のメッセージ 2008.6.15

主イエスの十字架が語っていること

 

イエス・キリストが磔刑に処せられたことは歴史の中で起こった事実です。しかし、その解釈となると、一般的には宗教的指導者の殉教死程度にしか理解されていません。

新約聖書中の福音書によると、イエス・キリストの磔刑に関わったのは、祭司長たちによって代表されるユダヤの宗教的指導者たち、ローマ総督ピラト、ガリラヤ領主ヘロデといった政治的権力者、そして一般民衆です。

その中で磔刑を先導したのは祭司長たちでした。その主張は、同胞(ユダヤ人)向けには神冒涜罪でした。しかし、当時ユダヤはローマの属国であり死刑執行権を有しなかったため、ローマ総督に訴えて死刑判決を引き出さねばなりませんでした。そこで、ローマ総督向けにはローマ皇帝に対する反逆罪で訴え出たのです。しかし彼らの心の根底にあった動機はイエスに対する「ねたみ」でした(マルコ15:10)。

他方、イエスを裁くことになった総督ピラトは、イエスの中に死罪に相当するような罪は全く見出せず、イエスの釈放に努めるのですが、暴動になることを恐れ、保身と事勿れ主義から死刑判決を下してしまったのです。

一般民衆は、その無知さから祭司長たちの扇動に乗ってしまい、「十字架につけろ」と叫ぶ暴徒と化し、ピラトの圧力をかけることとなったのでした。

しかし、それらのさらに奥にあったことを新約聖書中のパウロ書簡の一つ、『コリントの信徒への手紙?』5:21は次のように語っています。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

キリストの十字架は、あなたが神の御前に義とされるためなのです!