今週のメッセージ 2008.7.13

 

生まれたばかりの乳飲み子のように

 

 「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」(新約聖書・Tペトロの手紙2:2)

先週は、新約聖書中の『ヨハネによる福音書』の序文から、マリアの胎を通してこの世に誕生される以前の、永遠の初めからおられたイエス・キリストが「言(ことば)」と紹介され、また、その「言」を世の人々に紹介する使命を帯びて誕生した洗礼者ヨハネが、自身を「荒れ野で叫ぶ声」と紹介していることなどを記しました。

ところで、ヨハネの自己紹介、「荒れ野で叫ぶ声」は、旧約聖書中の『イザヤ書』40:3を下敷きとしているものです。そして、その下敷きとなっているイザヤ書40章を読み進んで行くと非常に興味深い言葉に遭遇します。6〜8節がそれです。

「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」

「声」は「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と呼びかけるよう促していることに注目しましょう。

後にペトロがその手紙に上記のイザヤ書の言葉を引用すると共に、それに続いて記しているのが冒頭の聖句です。そして、その中の「霊の乳」は、新改訳また英訳聖書の新欽定訳では「ことばの乳」と訳されています。

永遠に変わることのない言葉があり、それを「霊の乳」すなわち「ことばの乳」として「生まれたばかりの乳飲み子のように」慕い求めよと勧められているのです。