今週のメッセージ 2008.7.27

「わたしはある」

 

「イエスは言われた。『あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、「わたしはある」ということ、......がわかるだろう。』」

(新約聖書・ヨハネによる福音書8:28)

先週、「神の名を呼ぼう!」という主題で記しましたが、その中で、神が「わたしはある。わたしはあるという者だ」(旧約聖書・出エジプト記3:14)と自己紹介されていることに触れました。

ところで、冒頭の聖句は、主イエスがご自身について「わたしはある」という者であること、すなわち、「わたしはある」という神その者であることを自己啓示されていることばです。そして、そのことが「人の子を上げたときに」明らかになるといわれています。

「人の子を上げる」とは、直接的には主イエスが十字架に上げられること(磔刑)を指しています。そして、さらにその後につづく死の墓からの三日目の復活、さらにまた40日目の昇天までも含めて解することができるでしょう。

この主イエス・キリストの十字架・復活・昇天の一連の出来事は、まさに主イエスが「わたしある」といわれる神ご自身であることの決定的な証しです。

ヨハネ福音書において「わたしはある」といわれる主イエスが、他方で、出エジプト記において「わたしはある」と自己紹介される方に向かって、「父よ」(17:1)と呼びかけて祈っておられるのは矛盾のように感じられるかもしれませんが、ここに、聖霊なる神も含めて三位一体の神としか表現しようのない人間の理解を超えた神の神秘があるのです。

主イエスは、「わたしはる」といわれる「主」(アドーナイ)なのです!