今週のメッセージ 2008.8.17

スポーツマンシップ考

 

8月8日夜の開会式を皮切りに、目下北京では世界最大のス−ポーツの祭典であるオリンピックが熱戦を展開しています。

スポーツ競技には勝敗が付き物ですが、その闘う姿の中に自ずとその競技者の人間としての品格が表わされます。勝敗にこだわる余り、さらには金メダル獲得に執念を燃やす余り、ルールぎりぎりの、さらには反則をとられてもおかしくない闘い方で勝利を自分自身に呼び込もうとする様は、観ていて気持ちのよいものではありません。

女子バドミントンでは、分が悪くなると、必要以上にシャトルの交換を要求したり、審判に抗議したり、わざわざシューズの紐を結わえ直したりプレーヤーがいました。ルールの範囲内での駆け引きの手段なのでしょうが、見よいものではありません。女子柔道のあるクラスの決勝戦では、たった3分間の闘いの中で、何度も帯が解けてその度に解いて結び直していた選手がいました。競技中に柔道着がはだけるのは仕方がありません。しかし何度も帯が解けるのは、わざとそうなるように結んでいるとしか思えません。見苦しく感じました。しかし、審判も開催国の観衆に遠慮してか注意しようとしませんでした。

スポーツマンシップは競技者としての品格が求められます。そしてそれは、仮にルールを強化しても、生み出せないものです。

信仰生活においても、厳しい律法だけでは信仰者をレベルアップすることはできません。御言葉とそれに伴って働かれる聖霊の力をいただいて、生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(新約聖書・ガラテヤ2:20)といえる中ではじめてクリスチャンシップを体現できるのです。