今週のメッセージ 2008.8.31

不条理に見える試練にも意義が

 主はこの地に飢饉を呼び

パンの備えをことごとく絶やされたが

あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。

奴隷として売られたヨセフ。

主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ

首に鉄の枷をはめることを許された

主の仰せが彼を火で練り清め

御言葉が実現するときまで。

(旧約聖書・詩編105:16−19)

旧約聖書の創世記37−50章にヨセフという人の物語が記されています。彼の人生の前半は不条理な試練の連続でした。兄貴たちにエジプトに向かう隊商に銀20枚で売り飛ばされたのが始まりで、忠実に仕えていた主人の奥さんにあらぬ濡れ衣を着せられて牢獄送りとなったり、獄中で知り合ったエジプト王に仕えていた給仕役の長の忘却により、牢獄から解放される時が著しく遅くなったりと、実に間尺に合わない試練の連続でした。

冒頭の聖句は、そのヨセフの試練について語っている詩編の言葉です。スペースの関係で19節までしか記しませんでしたが、実際には24節までがヨセフの試練について語っている部分です。

そこには不条理にしか見えないヨセフの遭遇した試練にも、深い意義があることが語られています。一つはカナンを襲った飢饉から親族を守るため、そしてもう一つは、ヨセフ自身が練り鍛えられるためでした。

万事を益として下さる主を信じて歩んで行きましょう!