今週のメッセージ 2008.9.14

新たに生まれなければ

 

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書3:3)

『ヨハネによる福音書』3章の最初の方にニコデモという名の人が登場しています。ファリサイ派に属し、ユダヤ最高法院の議員であったと紹介されていますから、社会的に高い身分・地位にあった人だったと考えられます。また年齢的にもかなりの年配者であったと想像されます。

そのニコデモが、ある夜イエスを訪れたのです。社会的身分・立場の故に人目をはばかりながら、謙ってイエスのところへやって来たのです。そこには止むに止まれぬ求道・探求の思いがあったことを感じさせます。

主イエスは、即座に彼の求道・探求の思いを汲み取り、同時に求めているものを得るのに障害となっている彼の問題点を鋭く洞察されます。そして言われたのが冒頭の聖句なのです。

「新たに生まれる」を「再び生まれる」と解釈した彼は、年を取った者が、もう一度母親の胎内に入って生まれることなどどうしてできましょうかと反論します。するとイエスは、同じことを言葉を変えて言われました。

「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」(3:5)

さらに主イエスは、なかなか合点がいかないニコデモに、「霊」を「風」に例えて語られました。「霊」も「風」も原語は同じプニューマなので巧みな譬でした。確かに「霊によって生まれる」ことはあるのです。その霊の働きは風のようでつぶさに見て取ることはできません。しかし、主イエスの言葉を聞いて、信じ受け入れていく時、価値観、人間観、死生観、倫理観等が、そして何よりも神に対する関わり方が変わって行くのです。