今週のメッセージ 2008.10.19

サマリアの女と主イエス

 

この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(新約聖書・ヨハネによる福音書4:13,14)

これは主イエスが表題にもあげましたサマリアの女に語っている言葉です。女は即座に、主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」(同15節)と応答しています。

ユダヤ人とサマリア人の間に介在していた歴史的確執を考えると、サマリアの女がユダヤ人の主イエスにそのように応答していることは驚くべきことなのです。

そこには5人、6人と次々に夫を替えながら、しかし心満たされることがなかった女の、魂の渇望の癒しに対する求めが強く感じられます。

しかし、それだけではありません。もし主イエスが、いきなり「永遠の命に至る水」について語ったとしても決して女はそれを求めなかったでしょう。そこには、それに先立つ主イエスのサマリアの女へのアプローチの過程があったのです。

民族としての血筋的にも、また宗教的にも異邦人との混血であったサマリア人に対して、ユダヤ人たちは汚れた輩として蔑み、関わりを避けていました。しかし、主イエスは、南のユダヤ地方から北のガリラヤ地方に行くに際し、その間にあったサマリア地方を避けることなく通過しようとしていたのです。そして、疲れて休んでいた時、水を汲みにやって来たサマリアの女に、水を飲ませてくれるよう頼んだのでした。蔑みや差別を感じさせない主イエスに、女は心開いていったのです。

主は分け隔てなくわたしたちに対し、救いの恵みを与えて下さる方です。