今週のメッセージ 2008.10.26

必要なことはただ一つだけ

 

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。

しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(新約聖書・ルカ10:41,42)

この度の秋季特別集会の案内ビラに、「必要なことはただ一つだけ」のタイトルの文章を記し、7千枚ほど近隣に配布いたしました。(本ホームページの別のコラムにも「浜松医大生のあなたへ」と題して同類の文章を掲載しています。)そこでは、限られた紙面の中で「聞く」ことの大切さと忙しさが持つ落とし穴としての主客転倒・手段の目的化を中心に記しました。

しかしその後、読まれた方の反応を聞きながら、さらに続きを書く必要を覚えましたので以下に記します。

それは、マリアが選んだ「主イエスの足もとに座ってその話に聞き入った」(39節)それが、何故に“必要なただ一つのこと”なのか、ということです。

それは、もてなし方としてお客様の求めに応えることが最善で、あのケースは主イエスがそれを求めておられ、マリアはそれに応えた、といった“お客もてなし論”のレベルに由るものではありません。

問題の中心は、主イエスの語られる言葉がいかなる言葉であるかということです。それは単なる言葉ではありません。それを聞き、かつ信じることによって自己の存在と生について、その意味や目的を知ると共に、それを生きるいのちの力を付与する言葉なのです。

だからこそ主イエスは、マリアの選んだそれを“必要なただ一つだけこと”と言われ、「それを取り上げてはならない」といわれたのです。

この度の集会でまさにその言葉が語られています!