今週のメッセージ 2009.1.18

「わたしだ。恐れることはない。」

 

神が共にいて下さるということは、わたしたちにとって何にも代え難い大きな支えまた慰めとなります。

イスラエルがエジプトを脱出し、約束の地カナンに入るまでの40年にもわたる荒れ野の放浪の時を、リーダーとして統率したモーセ、彼を支えたのはまさに神が共にいて下さるという約束の言葉でした。(出3:12)

カナンの地に入り、先住民族を征服して定住するためにリーダーの重責を担ったヨシュアを励ましたのもやはりそうでした。(ヨシュ1:5)

イエスの時代、弟子たちが舟でガリラヤ湖をわたっていた時、強風に会い、波が荒立って二進も三進もいかなくなったことがありました。その時、湖上を歩行して来られた主イエスが、こわがっている彼らに声をかけられたのです。「わたしだ。恐れることはない」(ヨハネ6:20)。するとどうでしょう。次のように記されています。「そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた」(同21節)。

20節の言葉を詳訳聖書で見ると以下のように訳されています。

だ。恐れることはない〈私は有る、こわがるのはやめなさい〉」。〔出エジプト記3:14〕

出エジプト記3:14は神の自己紹介が記されているところで、神はご自身を、わたしはある。わたしはあるという者だ」といわれています。

つまり、「わたしはある」とは神のお名前なのです。湖上で立往生していた弟子たちが、「わたしだ。恐れることはない」とのイエスの言葉を聞いてイエスを舟に迎え入れようとした時、状況が大きく変化したのは、神がイエスにおいて共におられることを悟ったからに他なりません。