今週のメッセージ

主イエスの十字架の死

 

目下、教会暦では四旬節(受難節)の期間中である。次週からはその最後の一週間、すなわち受難週に入る。

主イエスの十字架の死は、敵対勢力としての当時のユダヤの宗教指導者たちの力に屈しての死ではない。彼らに殺されたのでは決してない。それは御自ら選び取った死なのだ。

ところで、ヨハネによる福音書では、しばしば主イエスの十字架の時に関する言及がある。

最初主イエスは、わたしの時はまだ来ていない、と言われた(2:4、7:6,8,30、8:20)。またその故に、敵対者たちはイエスに手をかけて捕らえようとしなかったとある(7:30他)。

しかしやがて、主イエスは、時が来ましたと言われるようになる(12:23,27、13:1、17:1)。このことから、十字架の時は主イエスが主権のうちに握っておられたことがわかる。10:18でも、だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」と言われている。従って、敵対者たちは主イエスの時の支配の中でのみイエスを捕らえることができる、否、許されるのである。

主イエスは言われる、「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」と。主はわたしたちに「いましばらく」の猶予の時を与えておられる。わたしたちは、「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じ」なければならない!