今週のメッセージ 2009.4.5

キリストに似る者となる

最初の人(アダムとエバ)が神の御前に罪を犯した結果、何が生じたのでしょう。「神はご自分にかたどって人を創造」されましたが(創世記1:27)、人が罪を犯した結果、その内なる“神のかたち”が損なわれてしまったのです。

ところで、救いとは何でしょう。それは、損なわれた“神のかたち”の回復に他なりません。

わたしたちは、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって救われます(ガラテヤ3:16他)。しかし、それは救いの入り口です。そこで留まっていてはなりません。成長・成熟を目指して進むのです。

ならば、その成長・成熟するとはどういうことでしょうか。それの目指すゴールとは何でしょうか。それが“キリストに似る者となる”ということなのです。

この“キリストに似る者となる”ことは、ある意味で神がわたしたちに対して最も求めておられることといえるでしょう。なぜなら、それは神が人を造られた当初の“神のかたち”の回復に他ならないからです。

使徒パウロがガラテヤの教会に宛てた手紙の中に次のような一節があります。

わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」(4:19)

背景には、ガラテヤの教会の信徒たちが、誤った教えにより、折角形作られてきた“キリストのかたち”すなわち“神のかたち”が損なわれてしまったことがあります。その回復のために、パウロはもう一度産みの苦しみを担おうとしているのです。