週のメッセージ 2009.5.3

偉い人

 

「偉い人」のイメージのひとつに、“大勢の人にかしずかれている”、“仕えられている”、があるのではないかと思います。

典型的な例は、江戸時代の参勤交代におけるいわゆる大名行列でしょう。その人数の多さを以って各大名は権威と格式を誇示したとわれます。馬上といわれる騎馬の武士や徒歩の武士、鉄砲・弓などを携えた足軽、道具箱や槍を持った中間人足、そして草履取りや医師などの大名の身辺に仕える人たち等、最大の石高藩であった加賀藩などは最盛期には四千人に及んだと言われています。随員、即ち仕える人が多ければ多いほど、一般庶民は“偉いお殿様”だと思ったわけです。そしてその“偉いお殿様”である大名自身は、行列の中程かやや後ろの辺りに駕籠に乗ったり、あるいは馬に乗ったりしていたようです。

それに対して、主イエスが教える「偉い人」のイメージは、それとはまったく正反対のものです。下記の御言葉が端的にそれを示しています。

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(新約聖書・マタイ20:26b〜28)

聖書は、キリストにあって成長していくということは、“受ける人”から“与える人”へ、“仕えられる人”から“仕える人”へと変えられて行くことだと教えています。

いつの日かわたしたちは地上の人生を終えて神の御前に立つことになります。その時の神の評価基準は、その人が「仕える」ことにどれだけの時間とエネルギーを費やしたかなのです。