今週のメッセージ 2009.5.10

「土の塵」性と「命の息」(霊)性

 

創造主なる神の創造の御業を伝える旧約聖書の中の創世記の最初の記事は、人間の二つの性を次のように語っています。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(2:7)

つまり人間は「土の塵」と「命の息」(霊)の二つの性を持っていると言うことです。この真理は聖書全体を貫く大切な真理の一つです。

さらに新約聖書ではその人間存在の究極を次のように語っています。

「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。」(Tコリント15:42-44)

即ち、人間の「土の塵」性は「自然の命の体」として「朽ちるもの」「卑しいもの」「弱いもの」と言われています。

それに対して「命の息」(霊)性は「霊の体」として「朽ちないもの」「輝かしいもの」「力強いもの」と言われ、かつ「自然の命の体」つまり「土の塵」性に優越することが示されています。

人間はともするとこの「命の息」(霊)性に対して無知になり、「土の塵」性にしか関心が向かず、それがすべてのように誤解しがちです。

そんな人間に対して主イエスは言われるのです。

「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6:27)、と。