今週のメッセージ 2009.7.5

赦しについて

 

新約聖書の『ヨハネによる福音書』の中に、姦淫の現行犯で捕らえられ、主イエスのもとに連行されてきた女の話しがあります。姦淫は旧約聖書中の律法のでは石打の刑で処刑される定めになっていました。

しかし、罪のない者がまずこの女に石を投げよ、と言われた主イエスの言葉に気圧されてみんな去って行き、主イエスと女だけとなりました。すると主イエスは、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」と言われ、女を放免したのです。

話しは変わりますが、先月27日は例の松本サリン事件から満15年ということで、被害者であったにもかかわらず、当初容疑者扱いされた河野義行さんとその家族のことを扱った再現ドラマがテレビで放映されました。

驚いたことに河野さんは、サリン製造の罪で10年服役し、刑期を終えて出てきた元オウム真理教信者を、赦して受け入れ、親しい交わりを持つに至っていたのです。サリン被害のために妻の澄子さんは昨年8月に亡くなるといった多大の被害を受けたにもかかわらず、河野さんは加害者を赦したのです。

他方、主イエスも姦淫の女を赦したわけですが、表面的な見方をすると、主イエスは河野さんとは違って被害を受けたわけではないので、何の痛みも伴わない赦しと思われるかも知れません。しかし、それは違います。主イエスの赦しは、その女の罪を身代わりに負っての赦しが主イエスの赦しです。主イエスの十字架の死は、わたしたちの罪を贖う死なのです。

「(キリストは、)わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」(新約聖書・Tペテロ2:24)