今週のメッセージ 2009.7.26

 

『わたしはある』ということを信じる

 

「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」(ヨハネ8:24b、新共同訳)

 

私事になりますが、クリスチャンになってから今日まで3種類の邦訳聖書を使ってきました。クリスチャンになってまず信徒時代、次いで神学校時代、そして最初と2番目の赴任教会までは、いずれも日本聖書協会発行の口語訳聖書を使用いたしました。その後現在の教会に転任したのですが、使用されていたのが日本聖書刊行会発行の新改訳聖書であったため、必然的に約9年間それを用いました。しかしある理由があって新共同訳聖書に変えて今日に至っています。

3種類の邦訳聖書を使ってきた中で、訳の違いによって非常に意味がはっきり掴めるようになった箇所があります。それが冒頭に記した個所です。

冒頭の「『わたしはある』ということを信じないならば、」の部分が、口語訳では、「もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、」、新改訳では、「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、」となっていて、いずれも漠然としている感が否めませんでした。

それに対して、新共同訳では、「『わたしはある』ということを信じないならば、」となっていて、2重の鉤括弧に入った『わたしはある』が、出エジプト記3:14の聖なる神の名であることを指示しています。そこではじめてしっくりと納得がいったのです。主イエスというお方が、『わたしはある』といわれる神そのお方であることを信じないならば、自分の罪のうちに死ぬ(滅ぶ)ことになるのです。しかし、信じるなら、永遠の命に与る者とされるのです。