今週のメッセージ 2009.8.23

『わたしはある』

 

はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」(新約聖書・ヨハネによる福音書8:58)

 

主イエスの言葉です。冒頭の「はっきり言っておく」は、主イエスが大切なことを語られる際の前置きの常套句です。

すると、これを聞いたユダヤ人たちは、「石を取り上げ、イエスに投げつけようとした」(同59節)いうのです。

アブラハムとは、ユダヤ人たちの父祖といわれる人物で、主イエスが来られる1900年も昔の人物です。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」この『わたしはある』が、単にアブラハムより先にわたしはいた、といった意味であるなら、“何をおかしなことを言ってるのだ。こいつ少し頭が変だ”で片づけられる程度のことでした。しかし、ユダヤ人たちは、律法の定めに従い、イエスを石打ちで処刑しようとする行動に出たのです。イエスの言葉を聖なる神を冒涜すると取ったからです。

このことを理解するには、『わたしはある』が実は聖なる神の名であることを知らねばなりません。(旧約聖書・出エジプト記3:14参照)

つまり、主イエスはご自身を聖なる神と同一の存在とされたのです。この『わたしはある』は、同じヨハネによる福音書8章の24節と28節にも出ています。前者では、それを信じないならば、自分の罪のうちに死ぬことになるとの警告、後者では、主イエスの十字架の死との関連で語られています。(8:24については7/26付で先に取り上げました。)

実に主イエスは神であられ、十字架の死を以てわたしたちの罪を贖い、その主イエスを信じる者には永遠の命の救いを与えて下さる方なのです。