今週のメッセージ 2009.10.25

見ないのに信じる人は幸い

 

「イエスは...言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」(ヨハネによる福音書20:29)

先々週、寺田寅彦のことばを引用しながら「見る」「聞く」について記しましたが、今回も別な角度からそのことについて考えてみましょう。

昔から“百聞は一見に如かず”とか、“見ると聞くとでは大違い”といわれるように、一般的には「見る」方が「聞く」に優っていると考えられています。しかし、冒頭の御言葉は、信じること(信仰)においては「聞く」ことの方が「見る」に優っているといわれています(「聞く」という語は直接的には出ていませんが示唆されています)。

なぜでしょう?

第一に、信仰の対象である神は目に見えないということです(ヨハネ1:18参照)。

第二に、主イエスの十字架と復活を中心とする神の出来事は、出来事そのものも然ることながら、そこに意味が秘められているということです。

第三に、ヘブライ11:1に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とあるように、その実現は未来に待たなければならない故に、現時点では約束の言葉に基づいて「信じる」ということが信仰の本質としてあるということです。

これらのことの故に、信仰においては「聞く」ことが「見る」ことに優越しているのです。

 昨晩から秋の特別集会が行われています。語られる聖書の御言葉に聞いてまいりましょう!「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)から。