今週のメッセージ 2009.11.29

無から有を呼び出される神を信じる

 

11/24付けの朝日新聞の社説の中の1節が気になった。社説のタイトルは“進化論150年 ヒトの未来を見つめ直す”。主旨は、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』が世に出てからちょうど150年。また今年はダーウィンの生誕200年。そこで、進化の観点からヒトという生物を改めて考え直す機会かもしれない。ついては、自ら作り出した環境によって人類はどう変わっていくのか。ヒトの未来にも思いをはせてみたい、というもの。

気になったのは、「いまだに多くの人が天地創造説を信じ」云々とあったこと。あたかも神による天地創造を信じていることが非科学的で時代遅れと一蹴するかのような扱いを感じた。

確かに社説執筆者の念頭にあったのは、進化論に対する反発が強い米国の教育現場であろう。しかしそのことを割り引いても、「いまだに多くの人が天地創造説を信じ」という言い方は、創造主を信じる信仰の否定、延いては宗教そのものを否定しかねない響きを感じたのはわたしだけだろうか。

1996年、ローマ法王が進化論を「単なる仮説以上」と容認したことも示しているように、長い時間の流れの中である種の進化があったことは事実であろう。しかし、進化論も含めて科学には取り扱える領域と扱えない領域がある。進化論は現象や過程は説明できても、すべての始まりやその意味・目的については説明できない。聖書は、科学では手が届かない領域についての、「無から有を呼び出される神」からのメッセージなのだ。この神を退ける時、人間は虚道徳の世界に引き込まれて行く。

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」(ローマ4:17b、口語訳)