今週のメッセージ 2010.01.03

「内なる人」は日々新たに

 

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(Uコリント4:16)

 

新年を迎えた時、必ずと言っていいほどにどこかで引き合いに出されるものに一休禅師の句があります。“元日や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし”。

年齢を現在のように満で数える以前は新年を向かえた時に一つ歳を取るという数え方でした。しかし、小学生の時だったと思いますが「満」に切り替えられ、先生から、今の自分の歳から1を引いて誕生日が来たら1を加えなさいと教えられ、なんだか変な気持ちになったのを覚えています。

そんなわけで昔は、新年を迎えるたびに一つ歳を取っていましたので、元日はめでたくもあるが、死に一歩近づいたことでもあると思うとめでたくもなくなるというわけです。

しかし、ギリシャのコリントの教会に宛てて手紙を記した使徒パウロは、同書同章14節の「主イエスを復活させた神が、主イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがた一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」という、キリストの復活に基礎付けられた永遠への確信と勝利の希望の故に、即ち、永遠の命に生かされている恵みの故に、「『内なる人』は日々新たにされていきます」いうことが出来たのです。何故なら、永遠の命とは、時間的に有限な命が量的に無限に引き延ばされるものではなく、唯一の永遠なる存在の神を知り、また、神に知られるという関係の中で“日々新たにされる生”だからです。