今週のメッセージ 2010.1.10

キリストを知るすばらしさに与ろう

ある時、ユダヤ人たちがイエスを取り囲み、「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と迫ったことがありました(ヨハネ10:24)。するとイエスは、「わたしは言ったが、あなたがたは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている」と答えられました(同25節)。

ここに、わたしたちがキリストを知るために、キリストご自身の「言葉」「業」があることが示されています。イエスがキリストであることを証しするためには、通常はイエス以外の他者にその証言を求めるわけですが、イエスに関しては違うのです。それは神であられるキリストはその証明を他に依存せず、ご自身の言葉と業とによって証しされるわけなのです。

しかし、当時のユダヤ人たちのように、わたしたちは直にイエスの言葉を聞き、直にその御業を見ることは出来ません。だからと言って心配はいりません。聖書があります。なぜなら、主イエス御自身が、「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われているからです(同5:39)。すなわち、わたしたちは聖書を通してキリストを知ることが出来るのです。

ところで聖書は、聖書自身について、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」(Uテモテ3:16)と述べています。従って、わたしたちが聖書に向かう時、聖霊の導きを得るために祈り心をもって向かうことが大切です。「神の霊の導きの下に書かれ」聖書は、やはり「神の霊の導きの下に」読まれる必要があるからです。

使徒パウロは、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに」(フィリピ3:8)と記しています。祈りつつ聖書に向かい、聖霊の導きをいただいてキリストを知るすばらしさに豊かに与りましょう!