今週のメッセージ 2010.01.24
世の罪を取り除く神の小羊
先々週(1/10)に記しましたように、ユダヤ人たちは主イエスに、「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアならば、はっきりそう言いなさい」(ヨハネ10:24)と迫りました。すると主イエスは、「わたしと父とは一つである」(同30節)とご自身について明確に明かされたのです。しかしそれが、「あなたは、人間なのに、自分を神としている」(同33節)として神を冒涜する言葉と看做され、石打ちの刑に処されそうになりました。主イエスは、「彼らの手を逃れて、去って行かれ」(同39節)、「ヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された」と記されています(同40節)。
その場所は、主イエスが救い主としての働きを開始されるのに先立ち、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた言わば原点のような場所でした。
そのヨハネはその後、主イエスを指しながら、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)と紹介しています。
父なる神と一つ、すなわち神であられる主イエスは、「世の罪を取り除く」ことが出来る唯一のお方です。主イエスは、一方においては“罪を赦す”ことにおいて、そして他方においては“罪を裁く”ことにおいて罪を取り除かれるお方なのです。それはまた究極においては“救いを完成なさる”お方に他なりません。『ヘブライ人への手紙』の中に次のような言葉があります。
「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」(9:27,28)。
従って、主イエスが再び来られる時は、救いが完成される時なのです。
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