今週のメッセージ 2010.3.14

ろばのあご骨

 

「彼は、真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、これで千人を打ち殺した。」(旧約聖書・士師記15:15)

先週は新約聖書の中の『ヨハネによる福音書』11,12章に登場するラザロという人物について記しました。これといったことは何もしていない、むしろ病弱で無能の人のように想像してしまうラザロなのですが、主イエスに敵対する者たちは、このラザロの存在を邪魔に感じ、彼を抹殺しようとまで企てたのです。その理由は、ラザロが死の墓から甦らされるという主イエスの驚くべき恵みに与り、その故に多くの人々がユダヤの指導者たちから離れて主イエスを信じるようになったためでした。

何も出来ないように見える者が、その実、尊いことを担っていることがあります。わたしのささやかな体験ですが、高齢者の母と聴覚と言語にハンディキャップを持った弟を引き取り、近くのアパートに住んでもらったことがありました。母の高齢により、横浜での二人の暮らしが危うくなったためでした。

全面的に家内とわたしとで面倒を看ていたように思っていましたが、その実、母が弟のハンディを補い、弟は高齢の母と一緒にいることによって手助けとなったり、慰めとなったりしていたのです。

やがて母が天に召された時、緊急な時にも電話が利かなくなって、あらためて母が弟の耳代わりになっていたことを知らされた次第でした。

冒頭の聖句は、サムソンという人物が、何の価値もないように見えるろばのあご骨でペリシテ人たちを倒したことを記しているものですが、ろばのあご骨に過ぎないような者でも主の御手に握られる時、偉大な働きを担うことが出来ることを覚えましょう。(参照 聖歌719番)