今週のメッセージ 2010.5.2

宣べ伝える人がなければ

 

今日52日は米国聖公会からの宣教師リギンスが長崎に到着した日といわれます。また来日した最初のプロテスタント宣教師ともいわれます。その年が159年であったことから、昨年はプロテスタント宣教150周年ということで大々的に記念行事が行われました。

他方、昨日51日は英国宣教師ベッテルハイムが沖縄・那覇港に上陸した日と伝えられています。その年は1846年だということです。故に、昨年は沖縄にとってはプロテスタント宣教163周年ということで150周年に異議が唱えられました。加えて、第2次大戦中、沖縄は本土防衛のための時間稼ぎの犠牲とされた。また日本独立のサンフランシスコ講和条約の際には、それと引き換えに軍事植民地の犠牲にされた等々が引き合いに出され、またもやプロテスタント宣教史においても沖縄は無視されるのかと穏やかならぬ雰囲気も醸し出されました。

確かにこの問題は、今後、わが国のプロテスタント宣教史においてきちんと検討されねばならない課題であろうと思います。

しかし、それはそれとして、ベッテルハイム宣教師であろうと、リギンス宣教師であろうと、また遡ること1549年のスペインからの宣教師フランシスコ・ザビエルの鹿児島上陸であろうと、とにかくわが日本にキリスト教の福音を伝えるべく来日した宣教師たちがいたことは何にも替え難く有り難いことです。なぜなら、「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」(新約聖書・ローマの信徒への手紙10:14)なのですから。永遠の命の救いの福音は、人から人へと伝える他に伝える方法はないのです。故に、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(同上15節)といわれるわけです。