今週のメッセージ 2010.8.15

恐れるな

 

 福音書を読んでいると、どうも肝心要の場面で男性の影が薄い感じがします。例えば、主イエスが十字架に磔にされる場面。そこにいたのは女性たちでした(マタイ27:55,56)。主イエスの復活の場面も然りです。安息日が明けるのを待ちかねて主イエスの墓に駆けつけたのも女性たちでした(同28:1)。

 では、誕生の場面はどうでしょう。やはりマリアが主役の感じです。しかし、ヨセフが重要な役割を担っていることを覚えたいと思います。

婚約期間中にあったヨセフとマリアでしたが、マリアは聖霊によって救い主を胎に宿します。マリアが身ごもったことに気づいたヨセフは、「彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」(同1:19、新改訳)のです。当時のユダヤ社会にあって婚約は結婚と同じ重さを持っていました。もし表沙汰にするならば、律法の定めに従って石打の刑で処刑されねばなりませんでした。ヨセフはそれを避けようとしたのです。しかし、その時、以下の神の御声が聞こえてきたのです。

「ダビデの子〈子孫〉ヨセフよ、あなたの妻〔として〕マリヤを受け入れることを恐れてはならない。」(マタイ1:20、詳訳聖書)

 「恐れてはならない!」。神の御旨に従う際に、しばしば伴うのが「恐れ」です。婚約相手が自分の身に全く覚えのない子どもを宿したのです。ヨセフはあれこれ考え、苦悩したに違いありません。しかし、それを克服させたのは「恐れるな」と語りかけた主の御旨に信頼して従ったことによってでした。そしてこのヨセフがいたからこそ、マリアはイエスの母となり得たのだと言っても過言ではありません。ヨセフの影は決して薄くはありません。