今週のメッセージ 2010.8.29

預言の実現ということについて

 

先週は、マタイ福音書について、読者が旧約時代に通じていることを前提としている書であり、それはユダヤ人という読者を強く意識して書かれているのだと記しました。そのことは旧約聖書からの引用が他の福音書とくらべて非常に多いということに端的に表されているといえます。

そこで、よく出てくる“預言者を通して言われていたことが実現した”記されていることについて考えてみましょう。尚、スペースが限られているので、引用は最小限に留め、引照個所のみを記すことをお許し下さい。

2:13−23のわずか11節の中に上述の表現が3箇所も出ています(151723節)。そしてそれらはいずれも旧約聖書のその個所を見ただけでは、救い主のそのようなことについての預言だということがわからないと言ってもいいでしょう。

たとえば15節にある、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」というホセア書11:1の言葉が、ヘロデの難を避けてエジプトへ逃れたことの預言だということです。ホセア書を読んでいてもそのようには理解が及びません。そこでは、エジプトから贖い出して下さった神に対して、その後イスラエルが偶像神バアル礼拝に走り、忘恩的背信行為に陥ったことが記されています。

マタイは、その出来事を下敷きにして、神が折角お遣わし下さった救い主をエジプト下りさせてしまったイスラエルの、神に対する忘恩的反逆行為を指摘しているのです。

聖書記者マタイは、神から霊感を受けてホセア書11:1の中に、イスラエルの御子に対する上述したそれを見て取ったのでしょう。わたしたちは同じ霊のお導きの下にそれをホセア預言の実現として理解するのです。