今週のメッセージ 2010.10.17

黄金律について考える

 

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(新約聖書・マタイによる福音書7:12)

この聖句が表題にある『黄金律』すなわちゴールデン・ルールです。このルールの授与者は主イエス・キリストです。また同時に主イエスはこのルールのただひとりの完璧な実践者でもあられます。

この教えに先立って「求めなさい。そうすれば、与えられる」との有名な勧めが置かれています(同7節)。実にうれしく有難い勧めです。

さらに有難いことには、何でも求めるものそのものを下さるのではなく、主が下さるのは「良い物」(同11節)だということです。

主イエスが与えて下さる「良い物」の極致は十字架の贖いによる永遠の命の救いです。そしてこの故に主イエスこそ、黄金律の最高の完璧な実践者というべきなのです。

しかし人は、必ずしも主が与えて下さる「良い物」「良い物」として受け入れません。主イエスの救いの恵みに与っている人の少ないことはそれを示す最たるものです。わが国ではクリスチャンが全人口の1パーセントにも満たないのです。

このことは、黄金律の中で「人にしなさい」といわれていることと深く関係しています。またそれ以前に、自分が「人にしてもらいたいと思うこと」とも深く関わっています。まかり間違うと、「神聖なもの」をそれと認識できない「犬」、真珠の価値を認識できず「足で踏みにじり、向き直って...かみついてくる」「豚」(いずれも同6節)のような罪深さを内に潜ませかねない自分なのです。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とは、実に意味深遠な黄金律なのです。