今週のメッセージ 2010.10.24

権威ある者として

 

「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(新約聖書・マタイ7:28,29)

 

料理研究家で辰巳良子さんという方がいらっしゃいます。お話しをうかがっていると、その内容は料理の領域を超えてご自身の生き方に発展し、さらには人生哲学にまで昇華されて、実に人間の生に関して示唆に富んで感心させられます。例えば、料理の素材を大切にしてそれに自分が仕える姿勢で対していくと「我」が落ちるといわれ、「我」が落ちると幸せになれるといわれるのです。

冒頭の聖句は、主イエスの『山上の説教』の締めくくりの御言葉です。その中に「権威」という言葉がありますが、辰巳さんはある意味で料理の素材の権威を認め、それに服する姿勢で料理をなさる方だといえるでしょう。そうした姿勢がやがて「我」を捨てて生きる人間へと変えられるわけです。

「権威」は英語で“authority”といい、それは“author”(作者)からの派生語だといわれます。「権威ある者」として教えられた主イエスこそ神が人となられたお方であり、従ってその御言葉は“神の言葉”に他なりません。すなわち、人間の創造者であられる神の御言葉なのです。従ってその言葉には作者(創造者)といての権威があるのです。「この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」(ヤコブ1:21)「権威ある者」として語られた主イエスの言葉に、「我」を捨てて服して生きる中にわたしたちの真の幸いがあるのです!