今週のメッセージ 2010.11.7

「賢い人」と「愚かな人」


 有名の主イエスの「山上の説教」(マタイ福音書4〜7章)は「賢い人」

と「愚かな人」の譬で結ばれています。「賢い人」は「岩の上に家を建てた人」に譬えられ、他方「愚かな人」は「砂の上に家を建てた人」に譬えられています。

両者の違いは一目瞭然のように思われがちですが、併行しているルカ福音書の記事(6:46〜49)を併せて考えるとそうではないことがわかります。見た目には両者の家は同じように見えたのです。しかし、「岩の上に建てた賢い人」は、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いた」(ルカ6:48)のです。

ところで、この「賢い人」と「愚かな人」を以って何が指し示されているかというと、前者は「わたし(主イエス)の言葉を聞いて行う者」(マタイ7:24)であり、それに対して後者は「わたし(主イエス)の言葉を聞くだけで行わない者」(同26節)を指しています。

プロテスタントは、人の救いに関して善行功徳の行いを徹底的に廃し、「行いによるのではなく、信仰による」(ローマ3:28)を強調します。

では行いの方はどうでもよいのかというと、決してそうではありません。主イエスは、御言葉を聞くだけでなく、行う者となれ、と諭しておられるのです。ヤコブの手紙でも、「御言葉を行う人になりなさい。...聞くだけで終わる者になってはいけません」(1:22)と教えています。さらに、「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです」(2:26)と断言しています。

「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置」く者、すなわち、「聞いて行う者」、「賢い人」になりましょう!