今週のメッセージ 2010.11.14

山上の説教

 

マタイ福音書の5章から7章に記されている主イエスの教えは、昔から“山上の垂訓”と呼ばれ、知られてきました。しかし、最近は“垂訓”という言葉が現代人には縁遠い言葉となってきたため、新共同訳聖書などでは“山上の説教”と小見出しがつけられています。

ところで「山」は、聖書においては単なる山ではなく、神から啓示を受ける場所という特別な意味合いがあるようです。例えば、主イエスの変貌の出来事が記されているマタイ17章において、その場所は“山”であり、その中に登場する旧約の律法の代表者モーセ、また預言の代表者エリヤは、両者ともシナイ山(別名ホレブ)で神からの啓示を受けたことが記されています(出エジプト記19:20、列王記上19:8参照)。

さて、それはそれとして、“山上の説教”は直接的には弟子たちに語られ(5:1,2参照)、その中では、「あなたがたは偽善者のようであってはならない」(6:5)として、当時のユダヤの宗教指導者ファリサイ派の人々や律法学者たちの、内実を喪失した形式的律法主義的生き方が、施し・祈り・断食といった当時の宗教生活における重要要素において、厳しく戒められています。

しかし、その説教は、決して他人事ではなく、わたしたちクリスチャンに向けられた御教えです。説教の締めくくりは、命に至るべく狭い門から入り細い道をたどれ、良い実を結ぶ良い木であれ、岩を土台として家を建てる賢い人であれ、と3段構えで畳み込むように迫ります。そしてその御教えの焦点は、“わたしの言葉をただ聞くだけでなく、行う者となれ”の一点に合わされています。“行いではなく、信仰によって救われる”として、とかく行いに甘さが出やすいわたしたちに対する厳しい戒めであります。