狭い門から入れ
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13,14) 今回も主イエスの『山上の説教』からの聖句を取り上げます。 この聖句の中の「狭い門」は一般的にもよく使われてきました。 最もよく使われるのは入学試験などにおいてです。競争倍率が高くて難関な場合によく用いられる表現です。しかし、この場合の「狭さ」は相対的な意味で使われており、聖書のそれとは異なります。 また思い出されるのは、フランスの生んだ文豪で1947年にノーベル文学賞を受賞したアンドレ・ジッドの小説『狭き門』です。高校時代、学校の図書館から借りて呼んだ記憶があります。ジェロームは2歳年上の従姉アリサを愛していました。アリサの方もジェロームを愛していたのですが、妹のジュリエットもジェロームを愛していることを知ったアリサは身を引くのです。ところが、ジュリエットも姉の気持ちを知って、わざと別の結婚に身を投じるのです。そのことは姉アリサの苦悩を増し、ついに彼女は地上的幸福を捨てて修道院に入り、そこで生涯を終えるのです。 ここでの「狭さ」は自己犠牲的、またある種の禁欲主義的なそれと言えるでしょう。しかし、聖書の意味するところはそれとも異なります。 また、この世ではとかく数の多さが正しさを判断するバロメータのように考えてしまうところがあります。 しかし、命に至る門か否かの見分けは、数の多さでは見分けられず、またその狭さは、相対的なそれではなく、また自己犠牲とか禁欲を求めるそれでもなく、ひとえにあなたの神に対する関わり方の問題なのです。 |
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