今週のメッセージ 2010.12.19

キリストの存在位置

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである。」(ルカ2:11、口語訳)

降誕されたキリストは、歴史を二分し、聖書を二分いたしました。すなわち、世界共通の年代の数え方(西暦)は実にイエス・キリストの御降誕を基点にしてそれ以前を紀元前(B.C)、それ以後を紀元(A.D.)と呼びます。他方、聖書においてもキリストの来臨を基点にそれ以前のものを旧約聖書、それ以後のものを新約聖書と読んでいます。

では、なぜイエス・キリストが年代の数え方や聖書を二分するような存在位置を占めるに至ったのでしょうか。

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18)

実にキリストによって、この世界に「はじめ」を与え、「おわり」をもたらす真の神が示されたのです。

人間はこの神によってその御かたちに似せて造られた存在なのですが、罪の故に神に離反し、滅ぶべき者となってしまいました。

しかしキリストは、十字架と復活を以って信ずる者に永遠のいのちの救いの道を開いて下さいました。「御子を信じる人は永遠の命を得ている...」(ヨハネ3:36)と言われる通りです。またこのキリストは、「かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」(使徒信条)と告白されています。

実にキリストは真の神を示し、人間の「はじめ」を明らかにし、同時に勝利と完成の「おわり」に至るための救いを成就されたまさに救い主であり、その故に歴史また聖書を二分するまさに中心的・中核的な存在のです。