今週のメッセージ 2011.3.13

嵐を静める主イエス

 

マタイ8:23−27に嵐を静める主イエスの姿が記されています。

向こう岸に渡るよう弟子たちに指示されて主イエスは舟に乗り込まれたのです。先週取り上げたひとつ前の記事では、主が、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(同20節))といわれたとありますが、舟上は主にとって“束の間の休息の時”だったのでしょう。すぐに主は眠りに入られました。ところが、突然、突風が襲ったのです。マルコによると、舟は波をかぶって水浸しになるほどでした。ガリラヤ湖には慣れているはずの弟子たちですが、あわてふためいて眠っている主イエスに危機を訴えたのです。すると主イエスはやおら起き上がり、「風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった」(26節)というのです。それを見た弟子たちは驚くと共に言いました、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」(27節)と。ここには、自然界をも支配する権威を持った主イエスが描かれています。

こういうイエスを見ると、人間はどうしても目に見える現象に心囚われ勝ちになります。エスカレートすると、あたかも主イエスを自然災害の救済主のように看做されてしまいかねません。しかし聖書は、自然災害の救済主ではなく、自然界をも支配する権威を持った主イエスを証ししているのです。少々先取りしますが、次の28−34節では、霊の世界をも支配する権威をお持ちの主イエスが、さらにその次の9:1−8では、罪を赦す権威を持った主イエスが紹介されています。即ち、聖書は主イエスこそ、旧約聖書がその到来を約束していた救い主に他ならないと証ししているのです。そしてその救いは自然災害からの救済主でなどではなく、「罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命」をもたらす救い主であられるのです。