今週メッセージ 2011.4.10

罪赦される恵み

 

/13には自然界を支配する権威を持った主イエスを、3/27には霊界を支配する権威を持った主イエスをご紹介しました。

「見よ、主の手が短くて、/救い得ないのではない。/その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。/ただあなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。/またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。」(イザヤ59:1、2、口語訳)

このイザヤ59章の冒頭の御言葉は、57,58章に引き続きイスラエルの罪が述べられ、罪というものがいかに神と人との間を隔てるものであるかが語られています。

「そのとががゆるされ、/その罪がおおい消される者はさいわいである。/主によって不義を負わされず、/その霊に偽りのない人はさいわいである。/わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、/ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。/......わたしは自分の罪をあなたに知らせ、/自分の罪を隠さなかった。/わたしは言った、『わたしのとがを主に告白しよう』と。/その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。」(詩篇32:1−3、5、口語訳)

こちらは、「罪を言いあらさなかった時は、ひねもす苦しみうめ」き、「骨はふるび衰えた」苦悩、苦悶を味わった作者が、自分の罪を告白することによって赦しを体験したさいわいが歌われています。そしてそのさいわいとは、罪によって隔てられていた神との関係が回復されたことのさいわいに他なりません。

イエス・キリストは実に「罪を赦す権威」を持ち、神とわたしたちの関係を回復してくださる救い主なのです!(マタイ9:1−8参照)