今週のメッセージ 2011.5.1

ヨハネ福音書に聞くイースター・メッセージ

新約聖書中の第4番目の書、ヨハネ福音書には、「週の初めの日」に復活のキリストがマグダラのマリアという女性に現れたことを伝える記事(20:1-18)に続いてさらに二つの出来事が記されています。

一つは、同じ日の夕方、復活のキリストが今度は弟子たちの前に姿を現されたことを伝えるもの(同19-23節)、もう一つは、その時トマスという弟子が不在だったため、1週間後の「週の初めの日」、今度はトマスも一緒にいるところへ姿を現されたことを記しているものです。

さらに前者においては、復活のキリストの、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(21節)との弟子たちに対する派遣宣言の言葉があり、後者においては、トマスに語りかけるかたちで復活の主が、「見ないのに信じる人は、幸いである」(29節)と語っています。

これらの二つは、ヨハネ福音書が前の三つの福音書の書かれた紀元50〜70年にくらべ、90年代とずっと後に記されたことを考え合わせると非常に興味深いものがあります。すなわち、その頃には地上で人として歩まれたキリストの言葉を直接耳にし、また、なさった業を直接目撃した証人たちは世を去り、信ずる者たちも次第に世代代わりしつつある時期でした。そこでヨハネ福音書は、キリストの復活の出来事を記すだけでなく、復活のキリストを証しする伝道の使命が主から託されていること、他方、その福音を聞く者には、見ないで信じることの幸いが記されているのです。

従って、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」、また、「見ないのに信じる人は、幸いである」は、決して弟子たちに語られているだけでなく、わたしたちにも語られているのです。