今週のメッセージ 2011.5.15

ヨハネ福音書が記す復活の主の3回目の顕現

 

ヨハネ福音書は、「あとがき」の後に復活の主の3回目の顕現を付加しています(21:1-14)。

エルサレムから故郷のガリラヤに戻った弟子たちは、ガリラヤ湖へ漁に出るのです。しかし、夜徹して漁をしたのですが、まったく獲物はとれず、疲れきって岸に戻りつつありました。すると、岸辺にいる一人の人が、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(6節)というのです。そこでその通りにしたところ、なんと網を引き上げられないほどの多くの獲物がとれたのです。そのとき、一人の弟子が岸辺から声をかけた人は復活のイエスであることに気づくのです。

ところで、ヨハネ福音書は「あとがき」のある20章の終わりまでに、主イエスのなさった奇跡はたった七つしか記していません。しかもそれらには「しるし」という意味づけがなされています。

ならば、この奇跡も「しるし」としての意味を持っていることが考えられます。ガリラヤ湖の猟師であった彼らに、しかも「人間をとる猟師になる」(ルカ5:10)と召し出した彼らに、さらに加えて、復活後、「わたしもあなたがたを遣わす」(20:21)と派遣を宣言した彼らに、今さら漁のための漁の記事ではないはずです。

ではいかなる意味を持つ「しるし」なのでしょうか。

この記事の中に「とる」(原語:ピアゾー)が2回(3節と10節)使われています。しかしこの福音書中の他の箇所ではすべて人間を対象として用いられています。従ってこの記事においても直接的な対象は魚ですが、「人間をとる猟師」という「しるし」としての意味を持っているのです。即ち、人間業に頼らず、御言葉への聴従こそ大切との示唆があるのです!