今週のメッセージ 2011,05,29

苦労が決して無駄にならない

 

先週に引き続きもう一回、“復活の章”から引用しつつ記します。

仕事柄、人の死に関わることが少なからずあります。死を迎えた体は放置するなら腐敗していきます。火葬すると骨と灰になります。そうした変化に遭遇するとき、一般的に復活を考えることは不可能といえるかも知れません。

そうした中で発せられた問いかも知れません。「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」35節)。

それに対して使徒パウロは、「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」36節)と切り出します。

彼は、自然界における麦などの穀物を例に取り、蒔かれた種と育った植物の関係に基づいて復活と復活の体について語ります。「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです」44節)、と。

さらにその復活の仕方についても、「わたしはあなたがたに神秘を告げます」51節)と前置きし、「最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます」(52節)と語っています。

「神秘」は他の訳では「奥義」とも言われ、神から啓示されなければ、人間の能力では知りえない真理を指しています。

かくしてキリストにより死に対する勝利の道が開かれたのです。故に、

パウロはわたしたちに対して、「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(58)と勧め、励ましているのです。